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宮城に戻ってくるきっかけになったSさんは、下北のシェルターの近くの風呂無しトイレと玄関共同のぼろぼろのアパートに住んでいました。
2回遊びに行って、1回は友達2人と、1回は勤め先が渋谷で、そこでSさんと知り合って僕は社員で最初先輩社員かと間違ったくらいやたら偉そうなバイトが3つ年上のSさんでした。
Sさんも宮城出身だよと教わり、話しかけたのですが最初があまりに素っ気ない態度だったので、やな感じと思ったのを覚えています。
で、その1回は、仕事が終わったら終電が無くなって、ダメだと言われたのを無理矢理頼み込んで泊めてもらいました。
この仕事で、市川に帰る途中の有楽町で電車が無くなって、有楽町駅近辺の朝までやってる中華屋とかで始発まで過ごして、始発に乗り市川に戻ってシャワーを浴びてすぐ出勤、ってこともやりました。

Sさんの部屋の窓から見える外の苔がすごいよかったです。
うまいもん食わせてやる、と言ったのでしばらく待ってると、お湯が入った鍋にソーセージが何本か浮いたのを持ってきて、友達と2人で、これがー?とか言いながら食べました。
渋谷でバイトをやる前までSさんがやっていたバーの閉店のときのビデオをみたり。

郵便局が性に合わず体を壊して特に胃がずーっと痛かった頃に、いつも通り何ヶ月ぶりにSさんから電話かメールが来て、友達が池袋でイベントやるから来いよ、と言われ、池袋のbedのヒップホップのイベントに行きました。
Sさんの友達のDJが主催していたそのイベントで、始めてレゲエのダンサーを見て、これいいの!?と驚きました。
Sさんの友達のDJがトラックを作り彼女が歌ってました。

そこで、Sさんに郵便局を辞めたこと胃が痛いことを言ったら、Sさんもバイトを辞めたところで同じく胃が痛いんだと言ってました。
そのときに、とりあえずは宮城に戻って自主制作映画をつくろうと思ってるんだけど、お前も来るか?と聞かれ、1時間くらい一人で考えて、一緒にやると返事をしました。
Sさんはいっつも僕の先にいました。
ツタヤでたまたま目についたドアーズのビデオを見てすごいよくて、そのことを言ったら、ドアーズは大好きなんだと始めて聞かされ、Co-Fusionにハマったのでマニアック・ラブの場所を聞こうと知ってたらついてるなと思いながらSさんに聞いたら、マニアック・ラブは俺の青春だと言われたり。
あまりに似てるので、Sさんも気味悪がってました。お前はなんなんだ、僕はSさんはなんなんだ、と。

宮城に戻って、僕は何をどうすればいいのか全くわからなかったので、連絡がくるまではSさんから送られてくる自分たちの紹介のフリーペーパーを置いてくれる店を探して置いてくれませんか?と交渉してました。
このときにSさんにメディアテークを教えてもらいました。
Sさんが、脚本を書いてモデル事務所から役者として借りて仙台のほとんどのテレビや雑誌等に手紙を出して、そのうちの1つの雑誌から取材したいと返事が来て、お前も来いといつも通り訳もわからず呼び出されて、Sさんが取材を受けてる隣で黙ってただ座ってました。
いつも、なんで?と聞いたところで、いいから、とにかく来い、とかしかSさんは言わないんです。
この取材をした人が宮城では有名な若手テレビディレクターで、NTT docomo東北のCMを作ってる人だったことを後で知りました。僕はそのCMで始めて宮崎あおいを見ました。
取材後、あいつ感じわりーな、絶対俺らのことをバカにしてるよ、とSさんが言ってたので、そう?と僕はそんなふうには感じなかったなぁと思ってました。
この雑誌に載っても、なんの反応もねーよ、とSさんが言ってました。

結局、東京にいる頃から自主制作映画を撮ってて僕も見学に行ったら手伝わされたこともあったので、仙台のモデルは東京のモデルよりプロ意識が低いと知り、撮ってた映画は途中で止まり完成せず、貯えていた金も底をついてきたので、映画はちょっと休んでまずはバーとカフェの店をやるかとなり、Sさんは工場で僕はメディアテークでバイトを始め、そのうちにお互いやりたいことが別々になり今に至ります。
原付で神奈川に引っ越すと言って、ちゃんと着いたか連絡しろよと言われ、着いて連絡してから約7年今どうしてるのかはわかりません。
約7年前に言ってた、彼女を宮城に呼んで一緒に住んでる、までしか。

千葉の市川に住んでた学生のときはSさんと知り合う以前から下北が大好きで、多いときには週に3日で行ってました。あのゴチャゴチャした雰囲気なんでもあるところがよくて。
ほぼ何も買わず、古着屋や靴屋疲れるとファーストキッチンでバジルポテトを食べて1日中ぶらぶらとなんの目的もなく歩いてました。

ただ、Sさんとよく言ってたのが、下北は好きだけど、ここだけで完結してるようなところが嫌いだよな、と。外に出ていこうとしないところが。
小学校のときに、どうしたって男でも女でもグループが出来てみんなそれぞれのグループ内でしか仲良くせず、なんなら他のグループと敵対したり無関心だったり、グループを抜けようとする人の足を引っ張り抜けた瞬間からその人を排除しようとする、のを、あるとき突然、これは嫌だ!俺はこうはなりたくない、と強烈に思いました。
なぜそう思ったのか、理由がよくわかりません。
が、とにかく強烈に思ったことは鮮明に覚えています。
Sさんも、下北インディーと言われてるようなのには属したくない、というようなことを言ってました。

立ち読みした、たけしの本に、
安い居酒屋でスルメをかじりながら、貧乏ながらに絵を描いても全く認められないその境遇を嘆いてるようで楽しんでるようなそこに浸ってるような美大生のようにはなりたくない、と書いてあった、
ような気がします。

生涯について詳しく無いのであまりいい加減なことは言えませんが、
ゴッホはその時代に認められなくても後の時代に認められるような絵を描きたいとああいった絵を描いてた、と何かで読んだような記憶があります。違ってたらすいません。
だったら、ゴッホの人生は全くこれっぽちも悲劇じゃないです。
望んだ人生を送って、その後望んだようになってます。まさに望み通り。
ゴッホ以外の人が、本人に断りもなく勝手に悲劇に仕立て上げてる、はずです。
なんかしらの強烈な物語やなんかしらの強烈なモノが無かったら、現在で言えば何万人何十何百何千万人いる絵を描いている人のなかで、それが認められることは不可能です。

シーンでも何にでも属していては、後を追っていては、いつか必ず潰れる。どんな業界でも必ず。
自分で自分だけのをつくらないと。
替えが利くようじゃだめでしょう。だったら他でもいいってことだし。なら、お前がだめでも他いきゃいんだよ、って。
サラリーを貰って生活するなら別です。むしろ逆じゃないと。
表現で食べていこうとするなら。
どこにも属さなきゃ、必ず何をやっても反発が生まれる。その反発に潰されずにやれなきゃ。
絵がうまいとか、技術が凄い、発想や視点が凄い、ってことはそれはそれとして、
反発ストレスプレッシャー妬み僻みイヤミなんかに潰されない力や技術が無い出来ないと、一生かかってもなんなら来世になっても、いつまでたっても認められないんだろうなと思っています。


いっつも思うのが、こういったことを書いてるのか書かされてるのかわかんないんです。
これといって特別言いたいこと、って訳でも、いっつも考えてる訳でもないし。
グラフィックだって、なんでああいうのになるのかわからない。
毎回完成がみえてないところから始めてます。
と、いうか、誰だって、
なんで今腹が減るのか30分後じゃなく。なんでこの色が好きなのか。なんでこの色が好きなのか、と今考えているのか20分前じゃなくて昼飯のことじゃなく今色のことを夜飯のことじゃなく夜の天気のことでもねーし、まではさっきのことで、それを今と思った時点で今じゃないし、いまってなんだ?みまじゃだめなのかな?なんでだめなんだ?だめってなんだ?
なんていうあらゆることは、ほんとのところは、誰もわからないんだと思います。

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2008年11月02日 12:52の記事です

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